商品

有田焼

佐賀県有田の磁器。西松浦郡有田町を中心として、文禄・慶長の役後発見された有田泉山の原料によるもので、わが国最初の磁器です。昔、製品の大部分が伊万里港を経て搬出されたので、伊万里焼とも呼ばれます。


清水焼

京都市東山区清水の五条坂近傍より産出の陶磁器。起源は古いといわれるが、陶業が盛んになったのは寛永(1624-44)頃、野々村仁清がこの地に窯を開いたことに源を発し、今日のような磁器は(1804-18)頃、有田焼に倣って製出したことから始まる。製品は茶器・盃・皿・鉢・碗・花瓶・香炉などみな清雅優美なものとして賞美されています。


ノリタケ

ノリタケの歴史は、日本の洋食器の歴史。

白く、美しく、清緻な洋食器を、この日本でつくりたいー。

貿易商として日本の骨董や雑貨を輸入していた森村市左衛門らが、パリ万国博覧会(1889年)で美しく絵付けされたヨーロッパの磁器を目の当たりにし、心に固く誓ったことからノリタケの歴史は始まりました。

現在は、和洋食器をはじめ、ボンチャイナの製品を世界の一流品として高く評価されています。


大倉陶園

良きがうえにも 良きものを

大倉孫兵衛の息子である日本陶器合名会社の社長であった大倉和親が、日本の工業発展のためには、輸入品は国産化すべきと考え、陶磁器製品として食器だけでなく、衛生陶器、送電用碍子、点火栓(スパークプラグ)も手がけました。また、事業の成功と発展のためには、各々の事業に専念すべきと考え、食器事業を日本陶器株式会社、衛生陶器事業を東洋陶器株式会社、送電用碍子株式会社を日本碍子株式会社、点火栓を日本特殊陶業株式会社に分離独立させました。

それぞれに特化した陶磁器製品を扱う企業を作り上げ利益を追い求めていく中で、美術的価値の高い陶器を作る事を目的に作られたのが、大倉陶園です。

『色の白さ・磁器質の硬さ・肌の滑らかさ』が特出した磁器と称され、日本を代表する最高級の食器との高い評価をうけています。


九谷焼

ジャパン・クタニとして、世界中から評価され、その名を馳せる九谷焼です。

1655年(明暦)元年ごろ、加賀藩の支藩、大聖寺藩の初代藩主・前田利治が領内で発見された陶石に着目。九谷(現在の石川県加賀市山中温泉町)に窯を開いたことが九谷焼の始まりとされています。

代表的なデザインは、古九谷,飯田屋,木米,庄三,吉田屋,永楽の6つの手法です。

織部焼

安土桃山期から江戸初期に活躍し、千利休の高弟として、また武人として秀吉、家康に仕えた古田織部の作風を受け継ぐ陶器です。

白と赤の2種類の土を繋いだ生地に別々の技法で模様を描いた鳴海織部、釉下に彫り模様を描き、器全体が濃い青緑色に焼き上がる緑釉を施した総織部、器の一部に緑釉をかけ、残り部分に鉄絵などを描いた青織部、鉄分の多い釉薬を冷却して黒く発色させる黒織部、鳴海織部の赤土部分の技法で作る赤織部などがあります。

常滑焼

愛知県常滑市を中心とし、その周辺を含む知多半島内で焼かれる炻器。

日本の六古窯(常滑焼,瀬戸焼,越前焼,信楽焼,丹波焼,備前焼)の一つです。

信楽焼

滋賀県甲賀郡信楽町を中心に作られる炻器です。

土中の鉄分が赤く発色する火色や、窯のなかで炎の勢いにより器物に灰のふりかかる、灰かぶりの現象による自然降灰釉(ビードロ釉)の付着、また、薪の灰に埋まり黒褐色になる焦げの含めた、炎が生み出す独特の焼き上りにあるといわれています。

信楽の「土」からしか独特の深い味わいを引き出すことができません。幾度となくこの地で繰り返されてきた春夏秋冬の営みが、信楽の自然の恵みをすべて凝縮した「土」を育んできました。また、古の信楽焼にそれにしかない滋味が存在するように、現代の作品にも今しか出せない味わいがあります。

河井一喜

滋賀県大津市

河井寛次郎(明治43~昭和41)の血統を汲み(寛次郎は、父 河井久の大叔父にあたる)寛次郎に学んだ父・河井久と同じ【工房・猿子田窯】にて陶作を行っています。

楽山窯 長岡空郷

楽山窯は、初代倉崎権兵衛が1677年に長州から松江に入国して以来およそ330年になります。

当代は空権であり、空郷は12代となります。

初代の倉崎権兵衛、2代から4代にわたる加田半穴、その後の40年以上にわたる中断を経て、楽山窯5代として不昧公より命を受けた長岡住右衛門貞政に移ります。

この5代より現在の松江市西川津町楽山の地に窯を開くこになりました。

4代までの窯の場所と5代以後の窯の場所と異なることとなるのですが、4代までの窯の場所がいずれであったについては未だに確証はありません。

その後、6代空斎,7代空入,9代空味,10代空処につながります。

湯町窯

湯町窯は大正11年11月11日開窯。

主として、日用食器をつくり続けていますが、ぼてぼて茶碗のような、布志名焼の流れを汲む伝統的なものから、大皿をはじめ、各種の皿類,コーヒー碗皿,湯呑,花瓶,更にスリップ模様がたのしいエッグ・ベーカー等、幅広く皆さんに親しまれています。

特色は、素朴で素直な形、地元産出の粘土や釉薬を使う、黄・緑・白・黒等のあざやかな色調とかつてこの窯を訪れた河井寛次郎、浜田庄司、バーナード・リーチの各師に学んだ物創りの心と陶技にあると思います。

湯町窯の器は、暮らしの中にとけこみ豊かなうるおいと手仕事の美しさを伝えています。

袖師窯

初代尾野友市は、布志名及び楽山上の茶碗屋の民窯で出雲の陶法を学び、明治10年に良質の陶土がある松江市上乃木皇子坂に開窯した。

二代岩次郎は明治26年にその当時は舟運の便も良く、小泉八雲先生が称えられた夕陽の美しい宍道湖岸の名勝の地であった袖師浦に窯場を移し、五室の登窯を築いた。

三代敏朗は、昭和6年島根を視察された柳宗悦先生の“民藝運動”に馳せ参じ、次いで河井寛次郎(郷土出身)、浜田庄司、英人バーナード・リーチ氏など諸先生の指導をうけ、以来今日に至るまで民芸陶器の窯として知られています。

特徴としては、出雲に伝承された陶法を基礎に、各地の陶法を尋ねて、手造りで現代の暮らしに役立つ健康な陶器造りに精進しており、地元に産する陶土、原料を使用し、強くて使い良く、簡素のなかにも潤いがある器を造り出すことを心掛けている。

釉薬は、地釉,柿釉,呉須釉,藁白釉,糠白釉,辰砂があり、掛分,抜蝋文,鉄絵,刷毛目,釘彫,櫛目などの手法を特徴としています。